日本の所得税や相続税の納税義務があるかの判断において、日本に住所があるかどうかが重要とされています。
ここで「住所」とは生活の本拠をいい、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決定され、滞在日数、住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の居所、資産の所在等を総合的に考慮して判断されることになります。
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1.日本の租税法における住所の重要性
日本の所得税では、日本居住者であれば原則として全世界の所得について納税義務が及ぶのに対し、非居住者であれば日本国内の源泉所得のみに課税されます。そこで納税者が日本国内に住所を有しているのかの判断基準が極めて重要となります。
また、日本の相続税でも同様に、日本国内に住所を有しているのかの判断基準が極めて重要です。
2.借用概念としての住所
所得税法にも相続税法にも住所の定義はありません。そこで、民法の住所の概念を税法上、借用することになります。
民法上の住所は「各人の生活の本拠」をいいます。租税法律主義の観点から、借用概念では原則として本来の法分野と同じ意義に解釈されます。
3.所得税法施行令と相続税法基本通達
⑴ 法規命令と行政規則
法律の技術的な細目については、内閣の制定する「政令」や各省大臣の発する「省令」など、行政機関が定める「法規命令」に委任するのが一般的です。
たとえば所得税法施行令は政令であり、所得税法施行規則は省令です。法規命令は私人も裁判所も拘束します。
一方、所得税基本通達のような「通達」は、上級行政機関から下級行政機関に対する命令で、行政内部の基準を定める「行政規則」です。行政規則は法規ではなく、一般の国民も直接これに拘束されるものではありません。
もっとも実務上、通達は重要な地位を占めます。
⑵ 所得税法施行令
所得税法施行令第14条1項では、国内において継続して1年以上居住することを通常必要とする職業を有する場合(同条項1号)や、日本の国籍を有し、かつ、国内に生計を一にする配偶者その他の親族がいること、その他職業や資産の有無等の状況に照らして国内に継続して1年以上居住するものと推測するに足りる事実がある場合(同条項2号)には、日本に住所を有すると推定するとしています。
また、同法第15条1項では、国外において継続して1年以上居住することを通常必要とする職業を有する場合(同条項1号)や、②外国国籍や外国永住権を有し、かつ、国内に生計を一にする配偶者その他の親族がいないこと、その他職業や資産の有無等の状況に照らして日本に帰国し主として日本に居住するものと推測するに足りる事実がない場合(同条項2号)には、日本に住所を有しないと推定するとしています。
このように所得税における住所の判定については、所得税法施行令の推定規定に沿った判断がなされることになります。
⑶ 所得税基本通達
通達は税法の法源とはなりませんが、所得税基本通達では、「住所とは各人の生活の本拠をいい、生活の本拠であるかどうかは客観的事実によって判定する」としています。
⑷ 相続税法基本通達
相続税法基本通達では、「『住所』とは、各人の生活の本拠をいうのであるが、その生活の本拠であるかどうかは、客観的事実によって判定するものとする。この場合において、同一人について同時に法施行地に2箇所以上の住所はないものとする。」としています。
また、相続税法基本通達では、日本国籍者や永住者が贈与時や相続時に日本を離れている場合であっても、下記の場合には日本に住所があるものとして取り扱われています。
① 学術、技芸の習得のため留学している者で法施行地にいる者の扶養親族となっている者
② 国外勤務その他の人的役務の提供をする者でその期間が短期間(おおむね1年以内)であると見込まれる者及びその配偶者その他生計を一にする同居親族
4.判例による「住所」
⑴ 相続税法上の住所(武富士事件最高裁判決)
ア 住所の内容
東京高裁は、所得税法2条1項3号にいう「住所」についても、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である(最二小判平成23年2月18日)として、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かは、滞在日数、住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の居所、資産の所在等を総合的に考慮して判断するのが相当である、と判断しました。
イ 事案の内容
この武富士事件とは、海外居住者が海外所在財産を受贈した場合に日本の贈与税の課税対象とならなかった時期に、武富士の元会長夫妻が、同社株式を大量に所有するオランダ法人の株式を、香港にいる長男に贈与した事案です。受贈者である長男が贈与時に日本に住所を有していたかが争われました。
長男は独身であったため香港ではサービス付きアパートメントに滞在し、現地子会社の代表としての業務に携わる一方、4日に1日以上の割合で日本の実家に滞在して、武富士の役員の業務に携わっていました。
なお香港には5,000万円程度の預金しか有しておらず、日本国内には1,000億円程の評価額の武富士の株式、23億円程の預金、182億円程の借入金を有していました。
この点、東京高裁は、長男は武富士の役員で将来の経営者とされていたことから日本が職業活動上最も重要な拠点であり、家財を香港に移動したこともなく、香港所在の財産は総資産評価額の0.1%にも満たないこと等の諸事情に照らし、長男の生活の本拠である住所は日本にあると判断しました。
しかし最高裁は、長男が香港に日本の2.5倍の日数滞在していることを重視し、①長男の武富士における地位ないし立場の重要性は、滞在日数の格差を覆して生活の本拠たる実体が日本に認める根拠にまではならず、②香港に家財等を移動していなくても、費用や手続の煩雑さに照らせば別段不合理ではなく、③香港に資産を移動しないことは海外赴任者に通常見られる行動であることから、これらの事情は、香港に生活の本拠たる実体があることを否定する要素とはならないと判示しました。
さらに、一定の場所が住所に当たるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かによって決すべきものであり、主観的に贈与税回避の目的があったとしても、客観的な生活の実体が消滅するものではないと判断しました。
⑵ 所得税法上の住所(東京高判令和元年11月27日)
ア 住所の内容
東京高裁は、所得税法2条1項3号にいう「住所」についても、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である(最二小判平成23年2月18日)として、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かは、滞在日数、住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の居所、資産の所在等を総合的に考慮して判断するのが相当である、と判断しました。
イ 事案の内容
日本に住民票を残しながら、父が始めた事業につき大規模な海外展開を行い、日本本社の社長は弟に任せ、自らは代表取締役会長に就任し、海外関連企業の代表者としてその業務に年間を通じて従事していた原告について、東京高裁は以下の各要素を総合的に考慮して、住所が日本になかったと判断しました。
① 日本に居宅を所有し、アメリカ、シンガポールでも居宅を賃貸しているが、年間の約4割をシンガポールに滞在し、シンガポール居住者として所得税の納税を行い、出張等もシンガポールを拠点とすることが多く、長男をシンガポールに呼び寄せていることから、生活の本拠が日本国内にあったことを積極的に基礎付けられない。
また、経営する会社の活動を日本から海外に広げる中で海外滞在日数が徐々に増加したから、海外移転のイベント的なものが存在しないのは当然であり、そのようなイベントを要するというのは時代遅れである。
② 日本本社から弟と同額以上の高額の役員報酬を得ていたとしても、それは海外展開による貢献に対するものでもあり、役員報酬の高さは職業活動の本拠が日本にあったことの裏付けとはならない。
③ 生計を一にする妻や二女が日本に居住を続けていても、また日本本社、日本居宅の共有持分権、自動車及び多額の預貯金等の資産が日本にあったとしても、家族を残して外国に赴任する者の行動として不自然ではなく、生活の本拠が日本にあったことを積極的に基礎付けるものとはいえない。
資産の所在は、それだけで居住者判定に大きな影響力を与える要素ではなく、資産の大半をカリブ海の国又は地域で保有していても、主に日本に滞在し、主に日本で経済活動をしている者は、日本居住者である。
④ 日本に住民登録を残していても、個人保証のための印鑑登録証明書を取得するための便宜が理由であることが不自然とはいい難く、生活の本拠が日本にあったことを積極的に基礎付けるものとはいえない。
⑶ まとめ
このように、所得税法には住所の推定規則があるものの、所得税法上の住所と相続税法上の住所は、特に区別されず同様に解釈されており、租税法律主義の観点から、「住所」という借用概念について厳格な解釈を行っているといえます。
なお、日本人は日本の住所を海外に移すことによって、容易に非居住者となり、所得税について、制限納税義務者になることができる点で、相続税の納税義務と大きく異なります。
以上、税法上の住所について解説を行いました。海外投資に関するご相談は、経験豊富な当事務所へまずはご相談ください。
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